
2009年6月20日(土)12:30-17:00
主催 * 研究班「東アジアのストリートの現在」
本研究会の課題は、包摂と排除をめぐる権力にさらされる〈ストリート〉空間における人々の①出会い(出会えない)、②交わり(向き合えない)、③つながり(つながれない)状況を、とりわけ、「エスニシティ」に焦点を当て、社会学・人類学という分野の垣根を超えて考察することにあった。
社会学側の報告は、稲津秀樹(関西学院大学)と岩舘豊氏(一橋大学)が行った。その焦点は、マルチエスニシティーズ間の関係性と、それらが担保される空間/場所の成立・維持という側面に当てられていたように思える。
まず、報告者でもある稲津は、これまでの日本のフィールドを事例にしたエスニシティ研究を概略的に振り返りつつ、それらが普遍的な「民族関係」に関する知見を提出することを目指しながらも、その内実は二民族間の関係分析となっており、「多民族」的あるいは「多文化」的という言葉の中に込められてある状況を、本当に捉えられてきたのだろうか、という疑問を提出した。そして、その疑問を具体的に考察していくための事例として、複数のエスニック集団がかかわる民族まつりに着目した。まつりという空間を構成する資源を、オールドカマー/ニューカマーを問わない様々なマルチエスニシティーズが交換している様子を、参与観察データから報告することで、今後の日本のエスニシティ研究において、二者間以上のエスニック集団の関係性と、それが担保される空間に着目することの重要性を報告した。
続いて、岩舘氏には、神奈川県のある団地へのフィールドワークから、「集会所的なるもの」の構造と論理に関する研究成果を報告いただいた。この団地にはインドシナ難民や日系南米人などが住み、「集会所」という空間が移住者の子どもたちにとって何かしらの意味をもつようになっている。だが、岩舘氏の研究の興味深いところは、「集会所」なる空間を決して一枚岩的に捉えず、複数の場所の「共起」として捉えるところにある。例えば、集会所前の道路、階段のところ、和室、事務室、奥の部屋…といった具合に、その場その場で交わされる人々の会話内容や行為の異同に着目しつつ、「集会所」なる空間を、複数の場・論理の構成を提示していくことで分解すると同時に、それら複数の場・論理を生きる人々同士の織りなす関係性を視覚的な図表として提示されたことにより、稲津報告では曖昧であった、マルチエスニシティーズからなる空間/場所の細かな差異を浮かび上がらせてもらったのではないかと考える。
人類学側の報告は、野上恵美氏(神戸大学)、永田貴聖氏(立命館大学)そして久保忠行氏(神戸大学)が行った。社会学側の報告が、エスニシティを起点としつつも、さまざまなエスニシティが遭遇する〈ストリート〉的な空間/場所を成立・維持させる人々の相互作用の分析に収れんしていったのに対して、人類学側の報告で印象的だったのは、ストリート的な状況を起点としつつも、対象となる〈エスニシティ〉を把握することへと実直に向かい合われようとする姿勢であったように思われる。
野上恵美氏は、神戸市長田区にあるカトリック教会、および教会内に事務所を置く在日ベトナム人自助組織へ参与観察を行う立場から、それらの現場で一体、誰と誰が出会い(出会えず)、交わり(向き合えず)、つながる(つながれない)のか、という問いを中心に現状を報告された。個人的には、在日ベトナム人のみからなる「信徒会」の活動に対して、日本人支援者による介入の語彙として「多文化共生」という語が用いられるようになっているとの報告は、エスニシティ独自の自立性あるいは自由をめぐる課題として興味深いものだった。宗教活動を通じた在日ベトナム人独自のエスニシティ形成の可能性は、「多文化共生」の名の下で、「妥協」しつつ、阻害されていくのだろうか。今後の「エスニシティ」の形成を考えるうえで重要な課題であろう。
永田貴聖氏は、「人類学者が移民と出会う場は『ストリート』なのか?」という問いかけから、我々の研究班の「ストリート」定義を分解して、在日フィリピン人の生活世界(戦術)へと迫る試みを展開された。具体的には、排除と包摂の権力にさらされる日本という国民国家が彼彼女らにとっての「ストリートA」だとすると、フィリピン人たちはそこにおける生存のための「ストリートB」を形成する(「ストリート・ライフ」の実践)というものである。また、フィリピン人当事者とその戦略にかかわる日本人(人類学者)との関係性を「トランスナショナリティ」と措定したうえで、そのかかわりの中で、人類学者も自身の「ストリート・ライフ」に気づきつつ、彼彼女らと日本社会の間を「仲介」していくことにこそ、フィリピン人の対抗戦術の広がりの可能性が宿っているのではないかと説かれた。このように永田氏のお話からは、「エスニシティ」を把握するための〈ストリート〉の二面性のみならず、その間で行き来する調査対象者と調査者の位置を考えるうえで示唆に富むものだった。
久保忠行氏は、ビルマからタイに逃れた「カレンニー」難民の人々が住むキャンプの報告から「エスニシティ」の定義にあたって言及されるもの(原初的紐帯、道具的側面、主観的・客観的定義、名づけ、名乗り…等)ではとらえきれない側面が、〈ストリート〉概念を持ち込むことで光を当てていく可能性を示唆された。特に、タイのビルマ国境周辺のキャンプにおけるエスニシティ内部の多様性(カヤー、カレン、カヤン、カヨー、パク…等)が、様々なアクターの介入により、どのように変化していったのかが報告者には興味深いものだった。久保氏によれば、キャンプは、ビルマ軍事政権に対抗する武装団体の存在によって、多民族が「カレンニー」民族としてひと括りに「集約」されていく力学と、一方で、国際NGOの人道的介入が、キャンプ内部で難民自身が助け合う契機を奪っている力学が作用しているものとして分析される。このような多民族間/アクター間の関係を、キャンプでどういった人々が出会うことにより変化したものかとして捉える見方から、〈ストリート〉をめぐるエスニシティ研究ではなく、「エスニシティ」をめぐる〈ストリート〉(的な状況)を研究すべきではないかとの疑問を提出された。
その後、コメンテーターのお二人からは、それぞれの専門とは異なる領域の報告に対する問いを、それぞれ行って頂いた。谷富夫先生からは、人類学側の報告で中心となった「エスニシティ」の概念が、アメリカ社会学で言われるようになった背景に、その「文化的側面」と「マイノリティ」(inequality)という2重の側面があったことを指摘された上で、ご自身のフィールド経験から、特に不平等を生きる人々の内面(「バイタリティ」)とそれを支える「生業」に、それぞれ着目していくことの重要性を人類学ではどのように考えられるか、という問いを投げかけられた。東賢太朗先生は、社会学の現状分析に対して、「夢」あるいは「ロマン」が語られないことへの疑問を提出された。つまり、「ストリート的なエスニック状況」を分析していった先に見えてくるものには、いったい、どんな価値があるのか。それを分析することは、いったい、どのような意味があるのか。十分な討論時間を確保できなかったため、各パネラーからの回答を踏まえた総合討論の時間は取れなかったが、コメンテーターお二人から提出された問いは、今後の、〈ストリート〉と「エスニシティ」を考察していくうえで、重要な問いとしてあり続けるものと考える。この点は、今回の研究会の企画者・発表者として、第2回研究会に向けた課題として真摯に受け止めていきたい。
報告者:稲津秀樹(博士課程後期課程)