【レポート】第4回研究会「ストリート理論レクチャー」研究会

2009年6月6日(土)13:00-16:00
主催 * 研究班「東アジアのストリートの現在」


民博「ストリートの人類学」(関根康正代表)班のメンバーでもある森田さんに、民博ストリート班の前提となるストリート概念の整理についてレクチャーをお願いした。

まず、民博班は、ストリートをタイトに定義しない方針にした。ある方向に向かって全員が進むというよりも、各自フィールドから自由に論じた。そのことで、「まとまり」が難しいことがあったが、そのようななかでも、基本的な指針があるとのことだった。

ひとつは、脱ネオリベのための人類学再考。たとえば、再帰化の議論。「周囲の他者との関係から自己を切り離して自己決定できる自律的な個人…」といった想定は一見、悪いことはないように思えるが、この思考のもつ新たな弊害等(オリエンタリストと同じ位置)。

ふたつは、ストリートを発見的な概念として使用する。街路としてのストリートであると同時に、ヒト、モノ、コトバのグローバル化ないしトランスナショナル・フローという交通現象をさす「拡張したストリート」(村もストリート)。

みっつに、根源的受動性、撹乱的な横断性を特徴とする「ストリート現象」。ストリートは縁辺・隙間であり、自立した空間ではない。諸力が生の上に重くのしかかるたびに、それを別の方向へ向けるような、外の力を折り返し、方向を変えるような実践(ex.歩道に寺が建つ)。

これらの指針によって、各々のフィールドのストリートが描かれる(30人ちかくの執筆者…)。

また、方法としてのストリートについても指摘があった。「ストリート」を対象であると同時に方法とする。枠組みとしては、ロマン主義的なストリートへの視線を反省的に捉え返したり、平滑空間(織物)/条理空間(フェルト素材)の議論、二項対立を乗り越えるものとしての陶酔者的スタンス、などを紹介してもらった。

また、今後の「民博ストリート班」は、トランスナショナルとストリートについて展開予定。その際に、権力システムを自明視しているが、それをどう描くか、という課題や、ストリートの多様な実践理解のために、「動かないこと」「偶然のチカラ」などユニークなアイデアが紹介された。

議論においては、各自のフィールドから各自の「ストリート感」「ストリートとは」を放談し、ストリート概念のもつ魅力および、つかみどころのなさについて自由に話しあった。関学ストリート班は、やはりルフェーブルも知らない空間や、セルトーの想定していなかった実践、あるいは、セネットが経験したこともないような秩序について、各自のフィールドから「ストリートの現在」として描くことがまずは、目標になるだろう。とはいえ、関学ストリート班の理論的「売り」を引き続き意識していかなくてはいけない。
しかしそれは、学内・学外メンバーが一通り報告を終えた後に見出せるものかもしれないが…。

今後、森田さんには、最終的には執筆者(見世物小屋研究)としてあるいは、映像に関するアドバイザーとして(森田さんもGCOEで映像編集経験あり)、関学ストリート班と関係を維持していただくことを提案し、快諾という形になり、終了した。

報告:山北輝裕(大学院GPリサーチアシスタント)


posted on 2009-06-26