講師:東琢磨(音楽評論家)
日時:2009年10月25日(日)14:00-17:00
場所:関西学院大学上ヶ原キャンパス 社会学部院1号教室
今回のゲスト、東琢磨氏は、ジャズ、ラティーノ・アメリカ音楽、沖縄音楽などを得意とする音楽評論家として活躍され、また地元広島についてのエッセイ集『ヒロシマ独立論』の著者としても知られる人物である。氏の専門領域・知識は多岐に渡っており、今回の研究会でのレクチャーにおいても、カーボヴェルデ、マイアミ、ニューヨークそして広島へと、次々と世界を横断しつつ展開される語りに圧倒させられた。とはいえ、私たちとの質疑を交える中、やはり「広島」という場を軸とした、いくつかの運動とその課題についてが、今回のテーマの中心として浮かび上がってきたと思われる。
はじめに東氏は、「広島」を中心に展開される平和運動への、ある違和感を表明する。それは、二十年以上生まれ故郷を離れていたという氏が、久しぶりに故郷に帰って見た平和運動の「進歩してなさ」、あるいはそうした古い運動の様態そのままに、それらが「オバマジョリティ」といわれる、世界政治に迎合的な姿勢を見せていることに対するものであった。
東氏によると、広島での初期平和運動は、詩作などを通じた芸術表現を行ったり、被爆者同士がグチを言い合うというような、相互扶助組織を中心としたものであったという。しかし、こうした運動は後に、そのような相互扶助的なものに代わり、制度的な補償を要求する政治団体が中心となっていき、そこでの言葉づかいも、法や医療・科学のものに置き換えられていく。その結果、かつてあった平和運動の相互扶助的な機能は失われ、「広島」は高度に国家に対する「承認」を要求するまちとなっていったという。
それに対して、「オバマジョリティ」現象にみられる今日の状況は、もう少し込み入った(あるいは単純化された)問題を含んでいると考えられる。オバマ大統領は、プラハでの演説において、「核なき世界」を目指す、という趣旨の演説を行ったが、広島市を中心として、この演説の内容に共鳴を表し、私たちの声が「世界の多数派=マジョリティである」ということを宣伝するキャンペーンを行っている。だが東氏は、こうしたキャンペーンに対して、被爆したまちに生きる「マイノリティ」である広島の人々が、「マイノリティ」として連帯するのではなく「マジョリティ」と名乗ってしまうことに、ある「気持ち悪さ」を感じるという。
東氏は、行政的な運動と、市民的な運動が一体化し、さらに世界的な「マジョリティ」であることを欲望し、それを目指していくことに、相当の憤りを感じている様子であった。この東氏の憤りを「承認」ということに照らして僕なりに理解するとすれば、これは歪んだ「承認」への欲望であると考えることができるだろう。
「承認」には、公的・制度的なものから承認を受ける/与えられるということと、親密な共同体における相互の承認というものが考えられる。広島の初期平和運動において行われていたのは、まさに後者のほうであろう。またそれらが後には、前者を目指すものに、つまり国家からの、法的・制度的な承認(=補償)を求めるようになっていったと理解できる。それに対し、今回の「オバマジョリティ」現象で見られる事態からは、そうした公的・制度的な承認の問題と私的な領域における承認の問題とを、一気に飛び越えてしまうような、短絡的な承認への欲望が見て取れる。
本来であれば、広島という地域ひとつとっても、そこに生きる人々の間には無数の差異、多様な利害が含まれるはずである。親密な領域での承認とは、おそらく、同じ地域に生きる人同士が、そういった多様な意見ないし利害を持ち寄って対話を重ねる中でなされてゆくものなのだと思う。けれども、「オバマジョリティ」運動の巧妙な(?)点は、その有無を言わせぬスローガンとオバマ大統領という世界的に認知された権威とによって、親密/公的領域を問わず、あらゆる対話をぬきに、そこにある種の承認が与えられてしまうことだろう。ただし、ここでの承認というものは、自分たちが「マジョリティ」として承認されたいという非常に私的な欲望が、オバマ大統領という公的な権威に投影されたものにすぎないのであるが。
一方、このとき一番問題となるのは、東氏が繰り返し強調していたように、市民的な運動が担うべき「批判勢力」がいなくなってしまうことだ。「核廃絶は世界の願い」をスローガンに、行政が中心となり、しかも市民的な運動を包摂しつつ展開される「マジョリティ」キャンペーンは、そうした政策に反対する立場の人々を非常に苦しい立場に追いやってしまう。なぜなら、今の政策・政治体制に反対することは、その意図はどうあれ、「世界の願い」に反する勢力としてレッテルが張られてしまうからだ。
東氏の問題関心は、こうした「オバマジョリティ」の問題だけにかぎらず、「広島」というまちが、絶えずこうした公的、あるいは国家的なシンボルの役割を担わされてきたことに向けられていた。平和といえば「広島」、核といえば「広島」ということで、何らかの複雑な事態を縮約する機能を、このまちは歴史的に担わされてきたわけである。それに対して東氏は、先述したように、あくまで「マイノリティ」として、そこに生きる人々を中心にしてものを考えること、そしてまた別の場所に住む他のマイノリティの人々との連帯を築いてゆくことを目指してゆくべきと考えているようであった。
これは現在においては非常に難しい課題なのかもしれない。広島の問題からは少しはみ出すけれど、現代に生きる私たちは、自明視できるような「ムラ」や「クニ」といった共同体を持たず、自分自身を測りうるアイデンティティをどこにおくべきかも定かでない。そうしたとき、どこまでを自らの問題として引き受ければよいのか、もっというと何を自らの問題として考えればよいのかさえ、分からない状況に陥ってしまっている。
とはいえ、私たちがそれぞれの場所に、今を生きていることに違いはなく、おそらくは、それとは気づかれない、おもわぬ場所に、社会との(他者との)接点が転がっているかもしれない。今回、東氏の口からは、そのような、人と人、場所と場所との、ハッとするような連関=リンクが語られ、大変刺激的であった。
東氏は今回、主に広島を中心として語られたわけであるが、承認班としては、この研究会から得られたことを自分たちのテーマや課題と引き付け、様々な現代的事象を通じて思索し続けたいと思う。
報告者:吹上裕樹(博士課程後期課程)