【レポート】共同研究「東アジアのストリートの現在」第10回研究会

投稿者:稲津 秀樹(関西学院大学大学院社会学研究科 博士課程後期課程)


● 第10回研究会『Transnational Sound or Homeland Sound? ─ 移民音楽が生みだす〈場〉と〈空間〉─』

● 日時:2010年7月3日(土)15:00-17:00

● 場所:Miski(阪神電車尼崎駅近くのペルー料理店)

● 報告者:エリカ・ロッシ氏(一橋大学大学院 社会学研究科)

● コメンテーター:菅野 淑氏(名古屋大学大学院文学研究科)


●出席者による研究会レポート

今回の研究会では、前回研究会までの課題として提起された、他者との出会いの契機、あるいはその媒介となるものを探究するため、「音楽」という実践に着目した。研究会のパネラーとして一橋大学よりエリカ・ロッシ氏を招きつつ、尼崎のペルーレストランMiskiを会場に行われた。「移民と場/移民の場―トランスナショナルな音楽の観点から」と題された報告は、場所/空間/移民/チチャ音楽/トランスナショナリズムなどをキーワードに展開された。

エリカ氏によれば、チチャ音楽とは、1960年代~80年代にかけてペルーのアンデス地域から海岸の都市部に向かって移住した、ペルー国内の移住者によって生み出した音楽である。よってチチャ音楽は、「移住者の音楽」とも呼ばれている。

これらの移住者が集住したのは都市(リマ)の貧困地域であり、都市に生きる多くの人々にとっての生活文化の中に息づいていた。そして80年代~90年代にかけてラテンアメリカの経済危機と治安危機を背景に、ペルーから各国への移民が増大するにつれて、その音楽文化も脱領土的に移動することとなった。

エリカ氏は、これまで議論されてきたラテンアメリカからの移民の越境現象だけではなく、それに伴う音楽の「動き」、あるいは「移動性が提起する場」も同様に重要視している。だが、それは「トランスナショナル」か「ホームランド」かの二分法によって区切って考えられるものではない、特別な「場」である。

彼女が挙げるのは、アルゼンチンのブエノス・アイレスほか、北南米各地へと移住しながらペルー系の料理屋と洋服屋を営みながら音楽活動を行っているインディオ系ミュージシャン、トゥミの事例である。経済危機をきっかけに、各国を移動しはじめた彼によれば、自分にとっての音楽は、「才に富んだあらゆる行為か声が、村(pueblo)に由来し村(pueblo)に向かう」(セサル・バジェホの言葉からの引用)ものなのだという。

8時間にもわたったインタビューの中で、トゥミは「僕は有名になりたくない」という点を強調し、インディオ音楽の系統を紹介するとともに、音楽活動による経済活動や成功を志向しているわけではないということを明かしたという。彼にとって音楽とは、単にインディオへの帰属を訴える民族的なものであるというよりは、むしろ、自身の自由な表現につながるためのものであり、ニューヨークにいる家族や自身が生まれあらゆることを学んだ「村(pueblo)」を想起するものなのである。

こうした音楽実践を紹介する過程で、エリカ氏は、特定の「場」や「文化」そのものに対する帰属意識や一体感といったものを「音楽」がもたらすという一面的な理解に疑問を投げかける。その上で、トゥミの事例において構築されていたのは、音楽実践という行為の過程で、当事者自身のライフストーリーや、当事者を取り巻く関係性も含めた様々な意味が身体的な次元で問われるような、「身体化された場」であったと述べる。当日は、この概念をめぐる深い討論までには至らなかったが、この概念は、移民音楽の実践をみる際に、単に国境を越える/越えないといった見方ではなく、よりパーソナルに、かつより深い意味で、音楽によって媒介された人びとの生が身体から繰り出され、それが充溢していくような空間の位相を指し示しているように思える。エリカ氏によって提出されたこの概念は、他者との出会い、あるいは他者との媒介となる音楽を考える際に非常に興味深いものである。

最後に、こうした「身体化された場」と他者との出会いをめぐる議論を、個人的なエピソードも交えつつ述べてみたい。

私たちは音楽を通じて他者と出会うことは可能だ。だが、音楽を通じた出会いとは、いったいどういった出会い、あるいは、つながりだろうか、といった内容までは日常的にはあまり問われていないように思える。というのも、特に異文化理解をめぐる文脈では、他者との出会いが賛美されるとはいえ、むしろその「出会いありき」のために「エスニック音楽」が動員されがちだからだ。

確かに、国境を越えた形で移民音楽は今日も生きられている(コメンテータの菅野氏はまさに、西アフリカの音楽/ダンスが日本に埋め込まれた際の変化を語ってくれた)。ラテン系音楽についても、日本におけるエスニック・コミュニティが開催するフェスタ、あるいは、日本人の支援者が行う多文化祭りなどで耳にする機会が増えてきた。だが、そうした空間に内在しつつも、「彼らの音楽」として、遠くから眺める「わたしたち」は、いかにその空間に参与していたとしても、果たしてそれを「身体化」していると言える深みにまで達しているのだろうか。当然、そこには人びとによって濃淡があり、深い人もいれば浅い人もいるだろう。

つまり、移民音楽が流れる「場」には、独自の磁場があり、そこで各々はその音楽と「付き合って」いる、あるいは、その磁場に対する「付き合い方」が要求されると言える。たとえば、地域の小さな日本語教室が集会所で開催するようなパーティイベントで、プログラム終了後も会場に残ったペルー系の人たちが音楽を鳴らし踊りの輪をつくりはじめると、「いや、まだ居たいんですけど、家事もあるし、私にはそんな踊りとか無理ですから…」と引き気味になって帰宅支度をはじめるボランティアのおばちゃんたちがいる一方で、「ラテンノリいいですねぇ!」などといい、一緒にダンスに交じる初見のお姉さんもいる。あるいは音楽も踊りもわからないけれど、彼らが歌い踊り終わるまで椅子に腰かけながら、ただじっと、「付き合う」だけのおっちゃんもいる。

あるいは、音楽も踊りも何度も何度も見聞きしてきたが、「ラテンノリ」には、未だに正直、「のれ」ないけれど、輪になっている「お馴染み」のおっちゃん・おばちゃんたちから、Baila!Baila!(踊ろう!)とのうれしそうな呼びかけに、引き込まれるまま、まわされるままになる、私のような下手くそな踊り手もいる。だけど、そうしているうちに、ちょっとずつリズムがとれるようになると、ちょっと笑えたりする。そうすると、輪にいるほかの人も笑ってみてくれる。でも、そんな風に調子をこくと、また足がこんがらがって上半身と下半身がバラバラになるような感覚と共に身体がカチコチになって動かなくなったりする。それでまた笑われてしまう。正直、恥ずかしいことこの上ないが、フィールドを訪れるたび、彼/彼女らには御世話になっているだけに、こうした身体を通じて彼/彼女らと共に感じられる喜びは、毎回、どこか新鮮に感じられる。…そう思いつつも、目の前で笑いながら踊っている彼/彼女らの息子・娘たちの姿は、この場には全くといって見えなかったりすることが同時に頭をよぎる。この人たちの息子・娘たちは、いまどこで何をしているのだろうか、と。

ささやかな例ではあるが、こんな風に人びとがさまざまな「付き合い」方をとるところに、移民音楽が「身体化された場」は存在しているのではないだろうか。移民音楽がストリート的な雰囲気を持っていることは確かだろう。けれども、それをトランスナショナルか、ホームランドか、といった現象的な問いに還元してしまうのではなく、むしろ、その磁場の周囲にいる人びとと音楽との関わり方をみていくことで、音楽によっても媒介されない他者、あるいは、媒介されていく新たな他者との出会いへと迫っていくことができるのではないか。このように、移民音楽の場をめぐる人びとの関係性をみつめることは、複数の他者が同時多発的に存在していることを想起させてくれる。それははからずも、ストリート空間の意味そのものを問うことへと繋がっていくのではないだろうか。今後の課題としたい。


文:稲津 秀樹(関西学院大学大学院社会学研究科 博士課程後期課程)

posted on 2010-07-27